認知症の父、この夏一気に進行。トイレ、食事、睡眠に異変が。
6月末から父の認知症が急に進行。夕方から夜になると自分の家にいるのに「そろそろ帰る。」と言い出してきかなかったり、急にキレたりするようになってしまった。食事や睡眠時間などにも異変が...
寝ている時間が長くなった
認知症初期の頃は朝9時頃に起きていたのだが 進行するにつれ 起きる時間が遅くなった。10時になり、11時になり、昼過ぎにー。日に日に痩せていく父を心配し、朝食を取らせようと起こすのだがなかなか起きてくれない父。
朝は野菜のサンドウィッチにコーヒー。昼は和食、夜はビールと焼き肉などのつまみ。でも寝ている時間が長くなれば もちろん朝食は食べない。最近では40時間寝ていたときがあるそうだ。その時は何も食べずにずっと寝ていただけ。何度も起こしてやっと起きてくれた時、布団は濡れていたという。トイレにも起きれなかったということだ。
トイレにもいかず、食事もせずにそんなに眠い?起きたらお腹すいてるだろうといつでも食べれるように母は用意しておくのだが 起きてくるとお腹はすいていないと言い食べない父。
睡眠時間が長くなるようになって一気に認知症が進んでしまったようだ。
トイレがひとりでできない
まずベッドに介護用の防水シートを敷いた。トイレの場所もわからなくなってしまったようでウロウロしてしまう。トイレに連れて行っても便器の中にちゃんとできず、床をびしょびしょにしてしまう。トイレと間違ってお風呂場、洗面所、クローゼットにしてしまう時も。なので母は父から目が離せない。
トイレの床にはペット用のおしっこシートを敷いている。
私や妹が行けない時は1日中 母が父の介護をしなければいけないので 母の方が体調を悪くしてしまうのではないかとマジに心配。
このころには大人用おむつも付けるようになっていた。絶対そんなの父が嫌がるにきまってる、履くわけないじゃん。と思っていたのに 私達が思っていた以上に病気は進行していたようで、いつの間のか 本人も何の抵抗もなしにはいていた。
急にキレる
父と母と妹の3人で散歩中だった時のこと。温厚だった父が 通りすがりの男性に 急に杖を振り上げ文句を言いだしたというのです。妹はすぐに杖を取り上げ、優しく話しかけて落ち着かせたそうですが なぜなのか ただびっくり、そして焦った。と言っていました。
時には 自分の頭の中で何が起こっているのか「警察呼んでくれ!」と言い出したり。そういう時は「どうしたの?何も困ったことは起きてないよ。大丈夫だよ、それより何か食べようか~?」などと こっちの話にすり替えられないかと頑張ります。
隣の家にも 「おーい!おーい!出てこい!」と怒鳴りながら入っていこうとする事もあったそうです。夜なので母1人しかおらず止めて家に連れ帰すのが大変だったらしい。
どこかに帰りたがる
私や妹が実家に 家事の手伝いや父の話し相手になりに行くのですが 帰ろうとすると「俺も帰るから乗せていってくれるかい?」と上着を持ってついてくるのです。「お父さん、お父さんの家はここだよ。どこに行くの?」と聞いても「いいから いいから、お金払うから乗せていってくれ。」と どこかに帰らなければいけないと思い込んでしまっているようなのです。
母は「行けば気が済むのだからちょっと連れていってあげて。」と言います。行かないと夜になってまた 帰ると言いだし 家を出て行ってしまうらしいのです。そうなると止めても無駄なので母も一緒に父の後をついていかなければなりません。父が疲れるまで夜の散歩は続きます。父は 疲れたり 足が痛くなると頭のスイッチが切り替わるらしく「もう帰る」と自分の家に戻るのだそうです。
母が大変なので私は父を車に乗せ「お父さん、どこに帰るの?道を教えてね。」と聞きます。父は「...あれ?俺は頭がおかしくなっちゃったのかな?...そこを左に曲がった所で降ろしてくれればいいや。」と言いながら 自分の頭がおかしい?、でもそんなことはないと思いたい、と頭の中で葛藤しているようでした。
帰りたい理由は その時 その時で違ったりもしました。もうとっくに亡くなってしまっている父の母に会いに行こうとする。
昔住んでいた家が今自分が住んでいる家だと思い、そこに帰ろうとする。
近所を一周して実家に近づくと「ああ、ここだよ。ありがとう。」と走っている間に頭のスイッチが切り替わったらしく 自分の家だと気づき帰る。
帰ると言い 車に乗ってきた父に「どこにいく?」と聞くと「母(自分の妻)を迎えに行くからそこまで乗せて行ってくれ」と今見送っていた母と別れたばかりなのにそう言った。しかも そこまでってどこ?「お父さん、お母さんは 今いた家、お父さんの家にいるよ。」と私が言うと「え?いた?どこに?愛想のない知らない人はいたけどー?。教えてくれなきゃわからないだろう、いたのかぁ、それならUターン、早く戻って!」と父は言うが 、自分にとって一番安心できる大切な 妻の顔も時々わからなくなってしまうらしい。私達も悲しいけど 本人が一番不安でたまらなかったのだろうと胸が痛くなった。
なぜか助けを求める
車に両親を乗せ 3人で買い物に行った時の事です。父が「ちょっと足が痛いから車の中で待ってるよ。」と言うので母と急いで買い物をすましてこようとスーパーへ。車は 店の中から見えるすぐ近くに止めたのでチラチラ様子を見ながら買い物をしていました。
母がレジで支払いをしている時に お父さん、大丈夫かな?もう戻るからね。と思いながら車に目をやると 「えっ?!」思わずびっくり!父の乗っている車に 知らないおばさんが集まっていたのです。何があったのかと急いで車に戻ると、父が助けてくれと車の中で杖で窓をたたき車から出たがっている、とおばさんたちが教えてくれました。ドアロックもしてはいないのにー。おばさんたちにはすぐ事情を説明してわかってもらい、父を車から降ろして落ち着かせたのですが 一人にするのはもう無理だなと思いました。
それは実家でもあったそうです。父が窓から「おーい!おーい!たすけてくれー!」と叫んでいたそうです。母が気付いて急いで父の所に駆け付けると 若い男性が5人くらい「どうしました!警察呼びますか⁈」と集まって 大事になっていたそうです。
書いた順番は違いますが 最初はどこかに帰りたがる、急にキレる、助けを求める、それから 寝ている時間が長くなった、トイレが一人でできなくなった、が 病状が進んだ順番です。
入院
この頃には母もだいぶ弱っていました。朝何度起こしても起きない父、食事は一緒にしようと起きるまで食べないで待っている母、トイレに行くのにも目が離せない母、夜も家から出ていかないか 心配で寝られない母。すると今度は便秘で困っていた父が急に下痢に。10分おきくらいに母がトイレに連れて行くのですが間に合わない。
それが1週間続いたので病院に連れて行ったのですが即入院。脱水症状で危険だということ。
この時に点滴をされていたのですが 父は不安そうな顔をしてキョロキョロと誰かを探しているしぐさをするのです。母を探しているんだ。とすぐわかりましたが 母は具合が悪く 寝込んでしまっていたので一緒には来ていません。いないとわかると どうしていいのかわからない という不安でいっぱいという目で私を見るのです。私はそんな子供のようになってしまった父が 愛おしくて 愛おしすぎて涙がこぼれるのを我慢できませんでした。
その日、そのまま入院となったのですが コロナの関係で面会はできないとのこと。その時は毎日行ってあげようと思っていたので大ショックでした。寂しくて不安でいっぱいなのではないのか、強制退院は?とも考えましたが脱水症状で危険といわれてるのにそれは無理?あと介護で心身ともに参っている母の事を考えるとやはり無理。介護ってきれいごと言ってる場合じゃないんだ、とつくづく思い知らされました。
肺炎と言う電話が
入院して3日後、病院から電話がー。父が肺炎になったとのこと。これも不思議なんだけど 高齢者が入院すると合併症?肺炎になって命をおとすってよく聞くけどまさかうちの父も?病院にいるのに なんで?なんで?なんで?わからない、わからない、わからない。
先生の話では 肺炎は誤飲が原因だということ。私が行った時には すでに栄養は管から直接送り込まれており、時々 食べるリハビリで 流動食のようなものを食べさせるのだという。それは座って食べるのではなく 寝たまま食べさせられていた。両手に赤ちゃんのように手袋のようなものを装着されて。
先生の話を聞いた後、少しの面会が許され父のもとに先生と行くことが出来た。先生が話しかけると ニコニコしてすごく機嫌が良さそう。私の顔を見るとやはり満面の笑顔で何かを話しかけてきた。最初は 良かった!こんな嬉しそうな笑顔が見られるなんて。と思ったが すぐに違うとわかった。先生に向ける笑顔と私に向ける笑顔が一緒なのだ。私が来たとわかったら 笑顔ではなく ホッとした顔をして「よかった、待っていたんだよ、早く帰ろう。」って言いたかったはず。父はもう 家に帰るということも、娘の私が会いに来ているという事も 全然わからなくなっていたのだ。でもどうなんだろう、今の自分の状態もわからなくなっている父にとって 不幸なのか 幸せなのかー。
自由になった父
それから—— クリスマスの昼過ぎに病院から「病状が悪化したしたのですぐ来られますか」との電話があり、母を連れすぐに駆け付けたのですが 間に合いませんでした。
好きだった苺やチョコレート、差し入れはダメだと断られてしまったけれど、今思うと隠れてでも食べさせてあげたかった。入院はさせずに家にいさせればもっと長生きはできたはず。食事も好きなものを食べることが出来たしー。
でも家での24時間介護はもう無理というか限界でした。どうすればよかったのか——。複雑な気持ちです。
大好きな父へ 今まで本当にありがとうー。